IRC Monthly 2025年12月号 に「ステーブルコインの実像」について寄稿しました。
ステーブルコインの実像
京都大学公共政策大学院 教授
株式会社伊予銀行 顧問
岩下 直行
前回(2025年9月号)の寄稿では、日米欧におけるステーブルコイン規制が出そろい、「制度は整ったが統治はできていない」と指摘した。その後、新しい制度のもとでの実装が現実に動き始めた。国内では資金決済法に基づく円建てステーブルコインの第一号認可が公表され、複数の銀行や企業グループが参入すると報じられた。海外でも、大手金融機関が制度内枠組みを活用して国際送金の実証を進める動きがみられる。こうした制度内コインの取り組みは、発行残高数十兆円に膨らんだテザーなど制度外コインの膨張に対する、伝統的金融側からの防衛的対応とみるべきであろう。
発行残高を安全資産で全額裏付け、信用創造を伴わない決済専用通貨とする制度内コインの構造は、1930年代にアーヴィング・フィッシャーが唱えた「100%準備マネー」に近い。しかし、安全資産の運用利回りは低く、システム維持とマネロン対策には相応のコストがかかる。結果として、制度内コインは安心・安全である一方、スケールも収益も見込みにくい「割の合わないビジネス」となる。それはフィッシャーの構想が商業的に定着しなかった理由でもある。
一方の制度外コインは、制度が整う以前に爆発的に拡大した。裏付け資産や監査の透明性を犠牲にしつつ、利便性と流通スピードで市場を支配している。清潔だが儲からない制度内、危ういが成長する制度外というねじれが、現在のステーブルコイン市場の実像である。
制度外コインには、金融包摂の観点からの実利もある。アフリカや南米など銀行制度や本人確認の仕組みが未整備な地域では、法定通貨による電子決済が困難な人が多く、テザーなどのドル建て制度外コインが銀行の代替的役割を果たしている。しかし、こうした制度外コインを自由に国際流通させれば、先進国のマネロン対策は尻抜けとなる。利便性の裏では、国際的な詐欺や犯罪資金移転の温床となりかねない。
先進国では既存の金融サービスがすでに充実しており、一般利用者がステーブルコインを使う誘因は乏しい。商店やECでの手数料の引き下げが期待されているが、発行者側に収益モデルがなければ持続しない。制度内コインを先進国で拡大する必然性は薄く、銀行預金を基盤とした既存の決済ネットワークを置き換える合理的理由もない。制度内コインの多くは銀行などが資金を預かり、ネットワーク上で移転処理を行う二階層構造であり、利用者から見れば銀行預金をネット送金しているのとほとんど変わらない。技術的に新しく見えても、金融機能の本質は従来と変わらないのである。
制度外コインと制度内コインの混同を放置すれば、社会の信認を支える秩序そのものが侵食されかねない。ステーブルコインの論点は、もはや技術革新ではなく統治の問題である。金融の信頼は、技術の新しさではなく、最終的には法と規律によって支えられる。包摂と逸脱のあいだで何を守り、どこまで許容するか。その判断こそが、次の時代の金融秩序を形づくる鍵となろう。
(IRC Monthly 2025.12)
