IRC Monthly 2025年9月号 に「ステーブルコイン規制」について寄稿しました。
ステーブルコイン規制
京都大学公共政策大学院 教授
株式会社伊予銀行 顧問
岩下 直行
2025年7月、米国議会でジーニアス法が成立した。これにより、日本の資金決済法(電子決済手段)、EUのMiCAと並び、日米欧三極でステーブルコインを直接対象とする制度が出そろった。
ステーブルコインとは、「価格の安定した暗号資産」という意味で使われてきた言葉である。主に米ドルに価値を連動させる仕組みを持つため、価格が激しく変動するビットコイン取引の相方として利用されてきた。だが、その多くは暗号資産の世界で生まれた「通貨もどき」であり、銀行券や銀行預金のような法的裏付けも安全装置も持たない。それにもかかわらず、ステーブルコインは暗号資産取引に不可欠な「ドルの代用品」として爆発的に拡大し、現在では数十兆円規模の残高に達している。
各国の制度整備は、こうした既存コインを伝統的な金融制度の中に取り込もうとする試みといえる。ライセンス制度を設け、運用対象を安全な資産に制限し、経営の安全性を確保することで、安全できれいな「制度内」ステーブルコインを作り出す狙いがある。しかし、そう簡単にはいかないだろう。
特に、米国の制度は日本や欧州とは性格を異にする。ジーニアス法の立法過程には、既に暗号資産の世界で巨大化した「制度外」ステーブルコインの発行者や関係者が参加し、議論を主導した。トランプ大統領は、暗号資産振興の立場からこれらの政策を進めていることを何度も表明している。こうした経緯から、ジーニアス法には既存のステーブルコインを排除するのではなく、制度外と制度内のステーブルコインを共存させる色合いが強い。
なぜ暗号資産市場でステーブルコインは数十兆円規模にまで膨張できたのか。発行体は初期に、発行によって得た資金を暗号資産市場に投じ、その価格高騰の波に乗った。2017年頃と比べてビットコインの価格は百倍になり、そこで得た利益が発行者の基盤を固めた。そして、その影響は現実世界にも滲み出しつつある。
もともと決済や送金は銀行が担い、厳格に規制されてきた。過去に銀行が乱発した手形や銀行券が信用を失い、破綻や取り付け騒ぎを引き起こした歴史を踏まえ、預金保険や中央銀行といった仕組みが整えられたことで、現在の「安全な決済手段」が実現したのである。
ジーニアス法が整える「制度内」コインは銀行預金の仕組みに似せてはいるが、預金保険や最後の貸し手機能といった安全装置はない。しかも発行者は既に「制度外」コインを抱えており、新しいコインは暗号資産と伝統的金融をより近づける橋渡しになりかねない。
暗号資産が注目される背景には匿名性や規制回避の性格がある。脱税やマネーロンダリングに悪用される恐れも否定できない。その暗号資産と深くつながるステーブルコインは、一見、銀行預金のように見えても、内部で何が起きているかを完全に把握するのは難しい。
日米欧の制度が出そろった今こそ、制度外のステーブルコインをどう扱い、どこまで統治できるのかを改めて問い直す時が来ている。
(IRC Monthly 2025.9)