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最終講義の文字起こし

2026年2月12日開催の最終講義の動画を公開しましたが、2時間と長いので、短時間で中身を確認できるように、動画の文字起こしを少しだけ加工して公開することとします。

【京都大学法政策共同研究センター 待鳥センター長 挨拶】0:00:06

(待鳥) 皆様おはようございます。本日は「法政実務フォーラム(法政実務セミナー)」として、岩下直行先生からお話をいただきます。私は法学研究科・法政策共同研究センター長の待鳥です。どうかよろしくお願いいたします。
 この法政実務セミナーは、法政策共同研究センターの行事として実施しております。源流をたどりますと、前身組織の「法政実務交流センター」において、法科大学院(あるいはそれ以前の専修コース)にお越しの法曹実務の先生方にご講演をいただく機会として長く続いてまいりました。
 その後、法政策共同研究センターとして改組・発展する中で、公共政策大学院にも実務家の先生方が多く在職され、日頃から多大なお世話になっております。そこで、公共政策大学院の実務家教員の先生方にも本セミナーでお話しいただく機会を設けることが、多くの方にとって裨益するところが大きいのではないかと考え、お願いするようになった次第です。
 本日お話しいただく岩下先生は、長年にわたり日本銀行に勤務され、1984年に慶應義塾大学経済学部をご卒業後、日本銀行に入行されました。いわゆるオーソドクスな金融政策の領域でも長いキャリアをお持ちで、下関支店長、本店審議役などを務められています。
 そして何よりの特徴として、日本銀行においてのみならず、日本の公共部門におけるデジタル化の進展に大きく貢献されてきたことが挙げられます。日本銀行在職中には平成23年(西暦換算は省略しますが)に日立製作所へ出向され、官民のデジタル化の橋渡し役のようなお仕事もされています。本学に移られてからも、フィンテックやデジタルガバメントといった新領域の科目を、伝統的な金融政策系(「中央銀行と金融市場」「金融政策」等)と並行してご担当いただいております。
 本日のご講演は、まさにご経歴に見合ったテーマとして、
「金融・行政におけるデジタル化の方向選択 ― 日本型IT化の限界と制度的緊張」
というタイトルでお話をいただきます。
 岩下先生は本学でのご在職は今年度末までとなりますが、今後もこの領域でのご活躍を続けられるものと存じます。過去には「情報化推進貢献個人表彰」や「情報セキュリティ文化賞」などの受賞もされています。本日のご講演は大変貴重な機会となると思いますので、どうかよろしくお願い申し上げます。
 本日のセミナーは記録のためレコーディングを行います。Zoomでご参加の方でお顔が映りたくない方は、カメラオフでご参加ください。
 また、資料は iwashita.kyoto.jp の「最終講義」ページにリンクがあり、そこから入手できます。必要な方はご利用ください。さらに、途中で Mentimeter(メンティメーター) を用いたアンケート等も予定されているとのことですので、ぜひご参加ください。
 少々紹介が長くなりましたが、それでは岩下先生にお願いし、お話をいただきます。どうかよろしくお願いいたします。

【導入:デジタル教育と注文の多い講義】0:05:16 

(岩下) 待鳥先生、本当に丁寧で、かつ大変恐縮するご紹介をいただき、ありがとうございました。ご列席の皆様、またリモートで参加してくださっている皆様、本日は私の最終講義にご出席いただき、誠にありがとうございます。
 私は京都大学にちょうど9年前に着任し、この9年間、公共政策大学院で当初は「金融政策」「中央銀行と金融市場」といった金融論の授業を担当しました。その後、少しわがままを申し上げて、デジタルやフィンテックといった領域の講義も担当させてほしいとお願いし、新しい講義を公共政策大学院に開講していただいた経緯があります。
 たとえばフィンテックブームが華やかな頃には、授業に日経新聞の記者が来て取材し、新聞に載るといったこともありました。また、デジタルガバメントの講義では公共政策大学院の学生がかなり大勢参加してくださり、公共とデジタルはもともと親和性が高いとは言いにくいのですが、だからこそ「木に竹を接ぐ」ように結びつける必要がある、という問題意識を共有できたのだと思っています。
 私はこれまで、4種類の講義科目と2種類のCS(ゼミ)を担当してきましたが、授業スタイルは、宮沢賢治の『注文の多い料理店』になぞらえて言えば「注文の多い講義」でした。普通は学生が先生に「もっと分かりやすく」「板書をきれいに」などと注文するのかもしれませんが、私は講義中にも学生側にいろいろお願いをしてきました。学生の皆さんが協力的に応えてくださったことには感謝しています。
 今日は現役学生や修了生も参加していると聞いています。私のスタイルが懐かしく思える人もいるかもしれませんが、本日ご参加の皆様にも、できれば同じようにインタラクティブに参加していただきたいと思います。そこで、先ほども紹介のあった Mentimeter を使います。すでに多数の方がログインし、回答してくださっています。
 Mentimeterは京都大学の学内ツール(KULASISやPanda等)ではなく、一般に世界中で使われている外部サービスです。大学として使ってはいけないものではないと思いますが、学内の正式システムを使うのが「正しいやり方」だという考えもあるでしょう。ただ、私としては、ユーザーインターフェースが充実している点を含め、実際に使いやすいものを選びたいという意図があります。
 まだの方は、QRコードをスマホで読み取るか、menti.com にアクセスして8桁のコードを入力してください。リモート参加の方には、チャットにリンクも貼っています。
 本日の講義資料(PDF)は約4MBとやや重いのですが、私の個人サイト iwashita.kyoto.jp のトップページにある「最終講義のご案内」からダウンロードできます。ドメイン(kyoto.jp)はもともと京都の料亭やホテル等で使われることが多いのですが、売りに出ていたのを見つけて取得し、「iwashita」をつけて使っています。そこにPDFへのリンクがありますので、参照してください。
 先ほど「注文の多い講義」と言いましたが、こうしたツールを使う理由も少し説明します。今日はハイブリッド開催ですが、会場の皆さんの机上にスライドの紙配布はありません。デジタルの時代ですし、紙配布は事務方にも負担になります。多少お手数ですが、デジタルのまま進めさせてください。
 また、学生は「デジタルネイティブだから得意」と見られがちですが、実際には詳しい学生もいる一方、平均的には自信がない学生も少なくありません。そういう学生ほど、マニュアルが整った「決まった仕組み」だけで済ませたがる傾向があります。しかし社会に出れば、企業ごとにSlackだったり独自のオンラインシステムだったり、クラウドの各種サービスだったり、次々に新しいものを使うことが求められます。新しい仕組みにログインできない、抵抗が強い、という状態では仕事にならない場面が出ます。
 その抵抗を少しでも下げる目的で、授業ではMentimeterのほか、Facebookのプライベートグループで情報共有をしたり、授業動画を撮影して自分で編集し、限定公開でYouTubeにアップしたりといったことを続けてきました。単位や成績がかかる分、学生も必死でやってくださる。結果として、試行錯誤を通じてデジタルに近づくことができる、と考えてきた次第です。
 では、すでに多くの方が入ってくださっているので、いきなりですがMentimeterでアンケートを行います。もちろん答えたくなければ結構です。個人名など個人を特定できる情報は収集しません。まず、どんな属性の方が聞いておられるのかを確認します。
 (集計を確認しながら)大学の学生、京都大学の教職員、金融・その他業界の方など、幅広く参加していただいているようです。今日はデジタルについて語りたいので、できるだけデジタルらしい形で進めます。

【デジタルとは何か】0:16:06

 最初の問いは、「デジタルとは何か」です。皆さんはデジタルという言葉から何をイメージされますか。Mentimeterで、選択肢の中から「最も近い」と思うものを選んでください(他の人の回答に影響されないよう、いったん表示は隠します)。
 (回答を待ちながら)私自身の「デジタル」の原体験は、おそらく1970年代の電卓です。当時、電卓はたぶん1万円くらいしたと思いますが、新しもの好きで買ってもらいました。手書きの「2」は曲線で書くのに、電卓の「2」はカクカクしている。あれが「デジタル」という感じでした。その後、中学生の頃にデジタル時計をもらった記憶もあります。金属バンドで、今から見れば機能も少ないチープなものですが、当時はとにかく自慢でずっとつけていました。私の「デジタル好き」は、そのあたりに根があるのだと思います。
 (集計結果を確認しながら)なるほど、皆さんのイメージは「DX」が最も強く、次いでインターネット、IT、という順です。つまり、デジタルという言葉に対してかなり新しい印象を持っていることが分かります。
 ここから、質問やコメントも受けられるように、Mentimeterをコメント入力モードにします。講義中ずっと入力できるようにしておきます。名前を出してよい方は「どこそこの誰ですが」と書いていただければ、今日この場で答えきれなくても後で個別にお返しできます。名前なしでも構いません。
 さて、ここから少し「講義らしい」話をします。私は、デジタルという言葉は非常に多義的で、決まった定義があるわけではないと考えています。おおむね10年単位で、これまで7回くらい意味が変化してきた、というのが私の見立てです(これは私の整理なので、異論は当然あり得ます)。

【デジタルの意味の変遷(私の整理)】

アナログ対デジタル(原義)
 連続量(アナログ)に対し、離散的(デジタル)に扱う、という意味です。語源的にもこちらが「デジタル」の原義に近い。2進数や桁(digit)のイメージが強い。

記録媒体・記録方式としてのデジタル(1980〜90年代)
 デジタル音楽、デジタルオーディオ、CDなどです。コピーしても劣化しにくい、といった性質が強調されました。アナログレコードやアナログビデオからの転換として理解された。

IT化と重なるデジタル(1990年代〜)
 企業・官庁・金融の基幹システム、全銀ネット・日銀ネット、電子メール等を含む、広い意味での情報技術としてのデジタル。

インターネット・オンライン化と結びつくデジタル(1995〜2000年代)
 Eコマース、オンラインバンキング、SNS等と結びつき、「デジタルっぽい」「デジタルマーケティング」といった語感が強くなった。

スマートフォン前提のデジタル(2010年代〜)
 スマホ常時携行、アプリ、QR決済、配車アプリなど、生活とシームレスに接続する環境としてのデジタル。

DX=ビジネスモデル変革としてのデジタル(日本で特に強い)
 2018年頃から日本で「DX」が強く旗振りされ、デジタルが「業務効率化」ではなく「事業変革/ビジネスモデル変革」を指す語として定着していった。

Web3(自律分散・非中央集権)
 ブロックチェーン、暗号資産、NFT、デジタル通貨、トークン化預金等が含まれます。ただし「預金は既にデジタル化されている」という素朴な疑問が生じるように、ここで言う“新しいデジタル”は、従来のIT化(第3段階)とは別物として意識されています。

 ここで私が言いたいのは、少なくともDXの段階くらいまでの「デジタル」は、一生懸命進めると良いことが多い。しかし、Web3として提案されているものには、慎重に評価すべきものが相当ある、ということです。デジタルは良いものと悪いものを見分け、進めるべきものと進めるべきでないものを選別する必要がある。その話を後半でします。

【ITとデジタルは「同じ」に見えるが、現場では区別されている】

 私は日立で仕事もしましたし、大学に来てからもNTTデータやIBMなどと関わりを持つ機会があり、SIer(システムインテグレーター)の用語法にも馴染みがあります。彼らはしばしば「IT人材は豊富だが、デジタル人材は不足している」と言います。直感的には「ITとデジタルは同じでは」と思うかもしれませんが、彼らの感覚ではこういう切り分けです。

IT(基幹・内部プロセス中心)
 ERP、会計・人事、銀行や政府の機関系システムなど。堅牢に要件定義し、保守運用し、安定稼働させる世界。COBOL等のレガシーも含め、ここを支える人材は今も不可欠です。送金や税、予算執行などが当たり前に回るのは、この世界の人材がいるからです。

デジタル(顧客接点・収益化中心)
 アプリ、SNS、API、クラウド、Web、(最近ならAI)。顧客接点に近く、新しいサービスの立ち上げや収益化に直接結びつきやすい。ここが「不足する」と言われる人材領域です。

 この区別は、文系・理系の分断とも絡みます。政策的な意思決定は文系が担うことが多いのに、情報技術について「文系だから苦手」という態度が残っている。私はこれは問題だと思っています。能力がないわけではなく、教育と社会の側が壁を作ってしまった面がある。
 CS(ゼミ)でも「デジタル人材が足りないなら、ベトナムや中国から連れてくればいい」と学生が真面目に言うことがあります。しかし本来、政策を担う皆さん自身がデジタル人材であるべきです。AIも含めツールが進化した今、特定の人だけがデジタルに強い、という状態では社会が回らない。私は、これからは「全員がデジタル人材でなければならない」と考えています。

【金融のデジタル化:FinTech】0:36:40

 ここからフィンテックの話をします。金融のデジタル化、金融におけるDXは、概ねフィンテックという領域で先に議論が進みました。デジタルトランスフォーメーション(DX)という言葉が一般化する前に「FinTech」という言葉が先に生まれ、金融の世界で「変わらなければならない」という感覚が先行し、それが他の領域に広がっていったのがDXだ、とも言えます。
 私はこのFinTechに比較的初期から関わっていました。最初は正直、フィンテックという言葉を使うのが少し恥ずかしい、格好悪い、という感覚もありました。ところが気が付いたら「日銀のフィンテックセンター」を作り、その中に収まる立場になっていた。そういう意味では、フィンテックから切れない立場になった、ということです。
 今からちょうど10年前、フィンテックの大ブームが起きました。2015年12月の『週刊エコノミスト』の特集号でとりわけ印象的だったのが、「銀行の破壊者・フィンテック」を描いた表紙です。サメが「FinTech」と刻印され、銀行(BANKと書かれたビル)が海底へ沈んでいく。あの表紙は、当時の銀行員や金融関係者をかなり冷やっとさせたはずです。私も面白いので講演で使ってきましたが、「自分も買いました」と言う人が多かった。つまり、相当なインパクトがあったということです。そこには「ビットコイン」「ブロックチェーン」「仮想通貨」「ベンチャービジネス」など、いろいろ書かれていました。
 では10年経って、銀行は海の底に沈んだのか。――沈んでいません。フィンテック企業が従来の金融機関を置き換えて革命をもたらす未来は、少なくとも全面的には実現していません。
 ただ、最近も似たストーリーは繰り返されます。たとえば数日前のニューヨーク市場で、AIを使ったフィンテック企業の話題が出て、米国の税務申告支援ビジネス(日本で言えば証券会社や大手金融が周辺サービスで稼ぐような領域)がAIに置き換わる、という文脈で関連企業の株価が一気に10%程度下がる、という出来事がありました。相変わらず「新技術が伝統的金融を破壊する」ストーリーは好まれます。私は今回の動きは「過剰反応」と見ていますし、簡単に置き換わるとは思いません。
 ただし、少しずつ侵食された部分があるのも事実です。しかし、10年前に描かれたような「全ビジネスがベンチャーに奪われる」変化は起きていない。DXやAIでも同様に、しばしば誇張(エグザジレーション)が混じります。私はそれ自体を過度には心配していません。
 むしろ、別のところから問題が起こる可能性がある。だからこそ、デジタル化は進めなければならない――この点が、今日の話のコアになります。

【日本でキャッシュレスは増えたが、「革命」の内訳は地味】

 では、この10年で何が起きたのか。代表例はキャッシュレス決済です。10年前、キャッシュレスと言うと笑われた時代がありました。「それ、どこで使うんですか」という反応も普通だった。クレジットカードは使われていましたが、それ以外は、せいぜいSuicaが少し、という程度でした。
 その後、キャッシュレス決済額は大きく増えました。2015年頃の約55兆円規模が、2024年時点ではおよそ2.5倍程度に増えている(2025年の数字はまだ出ていないはずです)。これは間違いなく拡大しています。
 しかし、増加の中心はクレジットカードです。コード決済(PayPayなど)も2018年頃から急増し、今やキャッシュレス全体の1割を占めるまでになった。これは成功したフィンテック事例ではありますが、全体の1割です。Suicaはそこまで伸びていない。デビットカードも大きく伸びていない。
 では、なぜクレジットカードが伸びたのか。店頭で急に皆がカードを切るようになったからかというと、体感としては10年前とそれほど変わっていない。
 答えは単純で、電子商取引(EC)が拡大したからです。本屋が潰れ、Amazonや楽天などネットで物を買う。ネットでは現金が基本的に使えない(代引きは手数料が高い)。結果としてクレジットカード決済が増える。つまり、日本でのキャッシュレス拡大の実態は「生活のEC化」に近く、フィンテックの現地的なインパクトを体感しにくい、という構造です。銀行取引がインターネット化したという変化はあるが、それ自体は「革命」と呼べるほど派手ではありません。

【本当の金融革命は「新興国」で起きた】

 それでも「金融革命がなかった」とは言いません。実は、世界規模ではものすごい革命が起きています。ただし我々が知らないだけで、それは主に新興国で起きたのです。
 私は日銀時代に、南アフリカ、南米、アジアなど、いろいろな国に行きました。とはいえ、各国の決済システムの実態――たとえば「電気料金を誰がどう払っているか」「コンビニで何割がどの手段を使うか」――は、専門家でも把握が難しい。GDPや金利のように国際比較可能な統計が揃いにくいからです。
 ただ、「世界銀行」というありがたい組織があり、各国の金融状況を同じ軸で調べています。残念ながらコロナで調査が中断され、最新が2017年までで止まっているのは悲しいのですが、私はこのデータを10年ほど使っています。
 ここで示しているのは金融包摂(Financial Inclusion)、つまり「人口のうち銀行口座を持つ人の比率」のような指標です。この言葉は日本ではあまり聞きません。理由は簡単で、日本人は昔から金融に包摂されているからです。子どもの頃から郵便貯金や銀行の通帳を作り、1人1口座どころか、平均すると1人10口座程度持つとも言われます(数え方はありますが)。日本は「口座を作りやすい国」であり、少なくともユーザー側から見れば便利だった。
 しかし、世界はそうではない。首都では銀行もATMもカードも使えて困らない国でも、首都を離れると厳しい。インドも同様です。ムンバイやニューデリーは先進国並みでも、地方はそうでない。
 ケニアも例に挙げます。ナイロビは東アフリカの金融センターで銀行も多い。ただし、国内の銀行支店の約半分がナイロビ市内に集中している、という偏りがある。日本で言えば「東京都に支店の半分」があるようなもので、これは異常です。地方ではインフラ(電気・水道・通信)が整っていない。そうすると銀行は店舗を作れない。電気も通信もないところでどう営業するのか、ということです。
 結果として2000年頃のケニアでは、多くの国民にとって現金が唯一の決済手段でした。貯めるなら壁に入れて庭に埋める、洪水で流される、といった笑えない話もある。送金ができないから、バスの運転手に預けて仕送りを届けてもらう、という話もある。こういう世界では、金融サービスが「国民に行き渡っていない」ことが大問題です。

【2011→2017の6年間で、世界が激変した理由】

 2011年時点では、多くの新興国で「人口の50%以下しか銀行サービスにアクセスできない」国が多数ありました(地図で赤い国が多い状態)。ところが、2014年、2017年と変わる中で、世界は一気に変わった。
 ここが重要です。こういう世界地図の変化は通常「20年」単位で語られます。乳幼児死亡率がどう改善した、など。しかしこの図は6年しか離れていない。なぜ6年で変わったのか。
 答えは スマホ です。スマホがこの時期、新興国に一斉に普及した。
 スマホは小さなコンピューターで、無線回線でインターネットにつながる。先進国でもスマホは普及しましたが、先進国ではスマホデビュー=ゲームやSNSが中心で、いきなり金融アプリを入れるとは限らない。日本では特に、スマホに金融アプリを入れること自体に抵抗が強い人が今もいます。
 しかし新興国では事情が違う。それまでできなかったこと――銀行取引、リモート決済、遠隔地送金、貯蓄――が、スマホで可能になる。だから一気に使う。株も買える、保険にも入れる、国際送金もできる。ECもできる。配送など別問題はあるとしても、金融機能が生活の基盤になる。
 そしてなぜ急速に普及できたか。スマホは「従来型の店舗網」のようなインフラを必ずしも要しない。電力も、通信も、従来のラストワンマイル問題とは別の形でクリアされる。充電はソーラーパネルで賄う例もある。基地局を立てれば、店舗の物理的展開よりも速く広げられる。結果として新興国で金融包摂が急速に上がり、「新興国のほうが先進国よりデジタル金融が進む」という逆転現象が起きた。リープフロッグ(飛び越し)です。
 もちろん「まだまだだ」という話は中国、インドネシアなどでも聞きますし、私の言い方はやや強い部分もある。しかし、ポイントは明確です。デジタル化は、これまでできなかったことができる(0→1)局面で最も強い。
 一方、先進国は既に1がある。1が1.5になる程度なら、わざわざ負担を払ってまで変えない、という原理が働く。先進国でデジタル化が遅く見えるのは、ある意味で自然です。
 中国のAlipay/WeChat、インドのIndia Stack(Aadhaar)なども同じ構図の例です。インドでは日本のマイナンバーカードに相当する仕組みが非常に高い普及率を持ち、しかも顔写真だけでなく両目の虹彩や10本指の指紋が登録される。日本で同じことができるか、という議論は別途大きな問題(デジタルガバメントの深刻な論点)につながります。さらに、その生体認証技術の提供に日本企業(NEC)が関わる、といった国際的なねじれもある。今日は時間の都合で深入りしませんが、デジタル化には多層の論点があります。

 【金融における日本的IT化の限界】1:01:56

 日本の金融のデジタル化は、実はそれなりに進んでいる面があります。たとえば手形交換の廃止は象徴的です。ニュースとして大きく扱われなかったため知らない人も多いのですが、手形そのものは近年「現物がなくなる」方向で進みました。件数・金額で見ると、1980年代半ばに全銀ネット送金が手形交換を上回り、今ではほぼ全てが振込へ移行した。だから手形は不要になった。
 ただ、この変化には60年かかっている。新興国が6年で激変したのと比べると、既存制度と既存インフラが厚い国で実態を変えるのは難しい、ということです。
 問題は、古い技術を使い続けることのコストです。コンピューター技術は、メインフレーム→PC→クラウド→(エッジ)という形で進化してきました。しかし日本の銀行は1960年代型の中央集権アーキテクチャに乗ったまま、「第1次オンライン」「第2次オンライン」「第3次オンライン」と進んでしまった。第3次オンラインはバブル期に巨大投資で構築され、日本の都市銀行が世界の計算機パワーを大量に集めたとも言われるほどです。そして、その結果として脱却できなくなった。いわゆるメインフレーム依存です。政府・公共分野は脱メインフレームが進んだのに、銀行は最後まで大量に抱えた。
 ここで情報技術の経験則として「ムーアの法則」があります。要するに、コンピューターのコストパフォーマンスは短期間で劇的に改善する。古い技術に固着すると、この恩恵(コストダウン/高性能化/UI改善)を取り込めない。
 しかし銀行の勘定系システムは、多数のシステムが密結合で作られ、トランザクション処理の安全性・堅牢性を極めた一方で、変えられない。制度や商品はどんどん変わるのに、システムが変えられない。
 象徴的な例が、納税準備預金や通知預金のような、実務ではほとんど使われない勘定科目です。実際ほぼ使われないのに、多くの銀行で残っている。なぜか。消せないからです。科目が残るだけで、それに紐づくテストや検証が開発のたびに必要になる。結果として、日本の銀行は開発リソースの大半(たとえば8割)を保守に費やし、新しい取り組みに使えるのが2割程度にとどまる――という構造が生まれる。米国の銀行では逆に新規側へより厚く配分している、という比較もよく語られます。ここに「デジタル・イノベーションが進みにくい」理由がある。

【利用者の体感は“進んでいる”のに、統計が食い違う理由】

 もっとも、ユーザー側から見れば、銀行取引はデジタル化しています。送金や着金確認をスマホ・PCからするのは普通です。法人を対象にした調査でも、多くの企業がインターネットバンキングを使っているように見える。
 ところが同じ頃(2020年頃)の調査で、銀行側の回答として「法人のインターネットバンキング契約は全法人の3割未満」という数字が出た。ユーザー側は9割、銀行側は3割。このギャップはなぜか。
 説明は単純で、企業は“実質取引のある銀行”(メガバンクやネット銀行など)だけをインターネット化しており、口座自体は多数の銀行に残っているからです。口座開設はしているが、アクティブではない口座が多い。アクティブな部分はインターネット化されているので、ユーザー体感は9割になる。一方、銀行全体の契約母数で見れば3割になる。さらに信金・信組ではデジタル契約比率が極端に低いところもあり、ネット銀行のように100%デジタルな銀行と、1〜2%しかデジタルでない金融機関が同じ市場に混在している。これを一律に引き上げるのは難しい、という実態が見えてきます。

【日本の銀行のデジタル化が進まなかった理由】1:15:27

 ここで皆さんに伺います。
「日本の銀行のデジタル化はなぜ進まなかったのか」
先ほど述べたように、IT化自体は進んだ。1990年代には世界トップ級だったはずの銀行が、その後のデジタル化でうまくいかなかったのはなぜか。皆さんの意見を聞かせてください。
 (回答を受けて)金銭的・経済的インセンティブが乏しい、という指摘は重要です。デジタル化しても利益が劇的に増えるとは限らず、コストが先行し効果を定量化しにくい。だから「やらなくても困らないならやらない」という判断が働き得る。ただし、世の中が本当にデジタル化したとき、対応していない銀行はどうなるのか、という問題は切実です。
 商店街の例を出せば、デジタル化しない個店は淘汰され、デジタル化したチェーンが残るという現象が起きています。しかし金融機関は単純に淘汰させると社会的コストが大きい。1997年の金融危機のような事態を繰り返すのは望ましくありません。だからこそ、銀行は「自然淘汰に任せる」だけでは済まない。
 (回答整理)意外と「経営者が悪い」という意見が少なかったのは良かった。私が重要だと思うのは、既存の金融ビジネスが十分便利だったという要因です。日本の銀行は、IT化の完成形に極めて早く到達した。1990年頃です。それはインターネット爆発の直前でした。そこで形成されたメインフレーム中心・慎重文化、インターネットと分離する発想が固定化し、API連携、クラウド、アジャイル開発、ゼロトラストなど新しいアーキテクチャに対応しにくかった。最適化の結果としてそうなったが、後の時代において全体最適ではなかった、ということです。
 私は、SBIネット銀行のBaaS(API連携)や、GMOあおぞら銀行のエンベデッド・ファイナンスのような、新しい方向性がもう少し広がらないと厳しいと思っています。日本全体で「デジタル化の遅れ」が問題視されている以上、金融だけが例外ではいられません。
 では、次の質問に移れるように、また入力モードを整えておきます。質問は最後にまとめて回答します。

【政府のデジタル化の歴史と現状】 1:22:58

 金融のデジタル化が思うように進んでいない、という話は金融業界に限りません。日本では長年にわたり、行政・産業界の各所で同種の課題が繰り返し指摘されてきました。
 ただし、産業によって「遅れ方」には差があります。流通・製造業などは、90年代までITベンダーの主要顧客ではなく、初期投資が相対的に薄かった一方、競争圧力にさらされるため、対応せざるを得なかった。結果として、部分的には相応にデジタル化が進みました。
 一方で、経理・税務・社内手続のように、形式的な正確性を重視する部門は、デジタル化の進展が遅れがちです。もっとも「正確に処理する」ことと「紙・対面・手作業に固着する」ことは同義ではありません。現に近年、日本企業の経理実務はクラウド会計等を軸に再編が進みつつあります。
 金融と同様に、行政もまた巨大なIT投資を行ってきた領域です。資金は投じられている。しかし、使っている技術が古い。さらに、国・省庁・自治体の縦割りが強く、データ連携が弱い。
 この構造は、金融(特に銀行)のレガシー問題とよく似ています。私が行政側の審議会等に関わってきたのも、銀行の経験が「制度とシステムの摩擦」を理解する助けになると考えたからです。

【電子政府の源流としての1990年代米国】

 私が、電子政府(デジタル・ガバメント)の起点として重視しているのは1990年代の米国です。クリントン政権期、副大統領アル・ゴアが「情報ハイウェイ(National Information Infrastructure)」構想を掲げ、制度基盤をネットワーク上に載せ替える発想を推進しました。
 ポイントは、単なる“行政のオンライン化”ではなく、社会制度そのものを情報ネットワーク前提で再設計するという問題意識です。この種の議論が、のちのドットコム・ブーム、さらにGAFAM支配へと至る環境形成に結びついた、というのが私の見立てです(米国の行政手続そのものは、必ずしも一枚岩で高度にデジタル化されたわけではありません)。

【日本の90年代:製造業の成功と、インターネット忌避】

 同時期の日本は、製造業の成功体験が強く、「ものづくりで勝てる」という感覚が支配的でした。結果として、社会制度をネットワーク前提で作り替える発想や、ベンチャー育成を制度設計として組み込む発想は、米国ほど強くなかった。
 さらに、当時の日本のエスタブリッシュメント(官・民・金融を含む)には、インターネットに対する強い忌避感がありました。インターネットを「いかがわしいもの」と見なす空気が濃く、それを前提に制度を組み替える発想が育ちにくかった、というのが実感です。

【2000年代:e-Japanの成果と限界(“紙の電子化”) 】

 2001年のe-Japan戦略などを契機に、日本でも電子政府が推進されました。ただし、初期2000年代型の電子政府は、行政内部のデータ連携よりも、申請・届出といった“紙手続の電子化”に偏りやすかった。
 もちろん成果はあります。典型例として、法令や行政情報がオンラインで参照可能になったことは、国民側の利便性を大きく押し上げました。しかし、国民とのインターフェース(使いやすさ)や、行政内部の連携・再設計という観点では、20年スパンで見ると十分だったとは言いにくいのです。

【コロナ後:反省局面とデジタル庁、そして“その先” 】

 コロナ禍を機に「日本の電子政府はこの方向でよかったのか」という反省が顕在化し、デジタル庁の設置など再起動が試みられました。私が関与した施策の一つに、行政手続での押印原則の見直し(押印廃止)があります。
ただし押印を廃しただけでは不十分です。押印廃止→手続のデジタル化→実際に使われるUI/UX→運用の定着まで繋がらなければ、政策目的は達成されません。
 こうしたトピックについて、私は「デジタルガバメント論」という講義で解説してきました。来年度も、非常勤講師としてこの科目を公共政策大学院で担当します。

【制度を揺るがすデジタル化の問題】1:33:31 

 ここからが後半の論点です。デジタル化は効率性を高め、手続を簡素化し、人々に便益をもたらす。その方向性自体は重要です。
 しかし、デジタルには別の側面があります。ネットワークは国家や企業から自由であるべきだ、という思想(ネット・リバタリアニズム/サイファーパンク)があり、その潮流からビットコイン等が生まれました。そこには、既存の制度秩序を“迂回する”力が内在します。

【クリッパーチップ論争と、暗号をめぐる国家—ネットの緊張】

 1990年代米国では、暗号をめぐり国家とネット側の緊張が先鋭化します。象徴例が、政府が鍵の一部を預かる「キー・エスクロー」型構想(いわゆるクリッパーチップ論争)です。国家安全保障や捜査の観点からは合理性が語られた一方、ネット側は「国家による介入」と捉えて強く反発し、暗号技術の普及と自由を正当化する思想的基盤が強化されました。
 この主張自体は、政治的立場として一概に否定されるものではありません。問題は、その後に生まれた暗号資産が「制度と摩擦を起こす形」で拡大し、現実に犯罪利用を含む実害を伴った点です。

【ビットコインの二層構造】

 暗号資産は、一般の利用者が想像するより構造が複雑です。

オフチェーン:利用者が交換業者の口座(帳簿)上で売買する取引。実務上は証券の口座管理に近い。

オンチェーン:ブロックチェーン上で直接保有・移転が記録される取引。自己責任性が強く、盗難・詐欺・紛失時の回復が困難。

 日本で一般の利用者が行っている暗号資産取引の大半はオフチェーンです。一方、制度秩序と摩擦を起こしやすいのは、オンチェーンを強く志向する世界観(「中央を置かない」「国家に依存しない」)の側です。

【ステーブルコインは統治できるか】1:45:15 

 ステーブルコインは「価格が安定した暗号資産(概ね1コイン=1ドル等を志向)」として拡大してきました。市場規模は2025年時点で数千億ドル規模と整理されることがあります。
 ただし、ここで重要なのは「誰が、どの制度の下で、どのように支えているのか」です。
 典型例の一つである TerraUSD(UST)は、2022年5月にペッグが崩壊し、巨大な損失を生みました。Terraform Labs共同創業者のド・クォンは、モンテネグロから米国へ引き渡されたと報じられています(2024年末)。
 制度外・不透明な発行体が、巨大な準通貨的規模を持つことの含意は軽くありません。金融安全網(預金保険、最後の貸し手機能など)に照らせば、伝統的な銀行預金と同列には扱えないからです。
 また米国では、ステーブルコインを制度内に組み込む立法の動きが報じられています。ここで私が強い違和感を持つのは、暗号資産やステーブルコインが持つ“制度迂回性”を、十分に点検しないまま、国内の金融機関や政策側が「デジタル通貨」「預金のトークン化」等へ接近していく局面です。
 既存の金融は、遅い・重い面がある代わりに、事故や不正が起きたときの回復可能性を含めて、長い時間をかけて制度秩序を積み上げてきました。そこを「分散・自由・自己責任」を美名にしてワイルドウエスト化する必然性は乏しいと考えます。

【まとめ:良いデジタルを選ぶために】1:51:50 

 デジタル化それ自体は必要です。効率性、利便性、制度運用の高度化のために推進されるべき領域は多い。しかし、デジタルには「制度秩序を補強する方向」と「制度秩序を迂回・弱体化させる方向」の両方があり得ます。後者が“新しさ”だけで正当化されると、統治や信認の基盤を損ないかねない。私が強調したいのは、デジタル化の是非ではなく、どの方向属性のデジタル化なのかを見極めることです。

【質疑応答】1:53:00

 時間の都合で最後は駆け足になりました。暗号資産やステーブルコインの領域は、前提となる構造が複雑で、正確に理解するには本来もう少し時間が必要だったと思います。
 それでも「よく理解できた」という反応が多かったのは心強いです。ここからは、会場・オンライン双方からの質問に、可能な範囲でお答えします。

Q1(会場):テック・リバタリアンとステーブルコイン/米国の制度化の関係
質問(要旨)
 終盤で言及されたピーター・ティールやイーロン・マスク等の「テック・リバタリアン」的な人々は、ステーブルコインをどう捉えているのか。米国側で制度化(GENIUS法等)の動きがあるとして、彼らはそれを支持するのか、距離を取るのか。
回答
 私は彼らの個別の発言を逐一追っているわけではないので、ここは推測を含む話になります。
 まず、テック・リバタリアン的な人々が「ステーブルコイン単体」を強く推進している、という像はあまり当てはまらないと思います。彼らの関心は、既存の共同体や制度を良くする方向(例:途上国支援や公共的投資)というより、むしろ「共同体からの離脱(エスケープ)」に親和的な方向へ向かいがちで、そこに強い違和感がある、というのが私の基本認識です。
 次に、米国側の制度化の枠組みをどう見るかですが、その趣旨は、既に拡大してしまった“規制外ステーブルコイン”の存在を前提として、一定の枠に収める。それとは別に、米国内で流通させる「より規律あるステーブルコイン」を制度内で位置づけ、発行を促す、というものだと思います。
 ただし、この制度設計の直接の受益者は、ステーブルコインの発行・運営に関わる事業者やその周辺だと考えられます。ティールやマスクが、そこに資本関係として深く入っているわけではない(少なくとも私はそう認識している)ので、彼らの関心は「制度としてのステーブルコイン普及」そのものには、必ずしも強く乗らない可能性が高い。
 一方で、ビットコインとステーブルコインは市場構造として裏表です。ビットコイン取引が縮小するとステーブルコイン需要が下がりやすい、といった連動が観察されます。加えて、ステーブルコインは暗号資産取引の「潤滑油」として機能する面がある。
 そういう意味では、彼らが直接制度化されたステーブルコインの普及に利害を持たないとしても、暗号資産市場の円滑な取引環境としてステーブルコインが存在すること自体を、好ましいと捉える傾向はあるだろう、というのが私の見立てです。
 ただし、制度内で「国民に広く流通する」ことが彼らにとって望ましいのかは別問題です。そこに明確な利害があるとは限らず、彼らの主関心は、むしろ暗号資産(特にビットコイン)側にあると考えています。

Q2(会場):日本でステーブルコインが広がる場合のガバナンスと監督
質問(要旨)
 暗号資産交換業者や自主規制団体のガバナンス課題が露呈してきたのと同様に、ステーブルコインでもガバナンス問題が起き得るのではないか。レギュレーターとして、米国に倣うべきか、日本として何ができるか。
回答
 まず、私は「ステーブルコインが日本で大規模に拡大する」という前提自体を、そこまで強く置いていません。最近は「バスに乗り遅れるな」的な空気でステーブルコインが過大に語られがちですが、冷静に見た方がよいと思っています。
 制度外ステーブルコインの拡大局面を支えた要因の一つに、DeFi等を通じた高い利回り(イールド)があります。米ドルに連動する形を装いながら、二桁近い利回りが提示される局面がありました。しかし、その後の市況悪化で利回りが低下し、残高が大きく縮小する、といった動きも起きています。ここから分かるのは、制度外ステーブルコインが「見た目は預金・現金に近い」のに、実態としては暗号資産市場のリスクや収益構造を内部に取り込んでいるという点です。そして、その内在リスクが顕在化した象徴例が、2022年のUST(TerraUSD)崩壊でした。
 したがって、安全な銀行預金や中央銀行券を普通に使える個人が、あえてステーブルコインを保有・利用する合理性は薄い、というのが私の基本認識です。理由があるとすれば、(1) 暗号資産との交換がしやすい、(2) 暗号資産の値上がり益を原資にした「見かけの高利回り」が提供される、といった局面ですが、どちらも暗号資産市場のリスクと不可分です。
 次に、日本国内で想定される「制度内ステーブルコイン」(例:円連動で、運用は安全資産中心)については、まだほとんど発行されていませんが、そもそも次の制約があります。
・決済目的の残高は構造的に膨らみにくい。
・安全資産運用の利回りは高くない。
・運営コスト(システム、コンプライアンス、AML/CFT等)を賄う収益が出にくい。
「無料・低手数料で永続する」ことを期待する議論もありますが、ビジネスモデルが成立しない限り、永続はしません。PayPayも初期は無料でした。ここを見誤ると、過度な期待だけが先行します。

Q3(オンライン): 第3次オンラインとメインフレーム依存は、そもそも回避できたのか
質問(要約)
 日本ではバブル期に第3次オンライン化を進めた結果、メインフレーム依存が固定化したという説明があったが、当時は別の選択肢を取り得たのか。何をすべきだったのか。
回答
 当時の経営判断として第3次オンライン化が選択されたこと自体は理解可能であり、現場の努力は評価されるべきです。ただし結果として、重厚長大で密結合な構造が固定化し、後続の柔軟な再設計へ接続しにくくなった。その次の世代に自然に移行できなかったことは、長期的には不幸でした。
 「やるべきでなかった」と言うのは、当時の意思決定を道徳的に否定する意味ではなく、変化耐性を持たない設計を完成させてしまったことへの反省的評価です。

Q4(オンライン): レガシーは本当に問題なのか。諸外国との違いは何か(オンライン)
質問(要約)
 銀行や行政は安定性・堅牢性を重視するのが当然ではないか。日本が特に遅れたのはレガシーコストの問題なのか、それとも設計思想の違いなのか。
回答
 レガシーは、外部環境が変わらない限り非常に強固で便利です。完成度の高さゆえに長持ちします。問題は、IT環境が5年・10年単位で大きく変わる時代において、過去の最適化を過度に積み上げると、次の変化への適応が難しくなることです。日本の特殊性というより、「早く完成しすぎたこと」と「過剰最適化」が硬直化を生んだという構造の問題と捉えています。

Q5(オンライン): レガシー基盤の上にある日本の富は持続可能か
質問(要約)
 現在の日本の富は過去の資本蓄積に支えられているが、その基盤がレガシーであれば、将来の維持は難しいのではないか。どのような兆候に注目すべきか。
回答
 技術基盤の陳腐化と、その上に成立する信用・資産価値は別問題です。システムの技術的価値が低下しても、預金や信用が直ちに失われるわけではありません。必要であれば移行は可能です。
 ただし、制度変更や再設計のコストが継続的に上昇し、意思決定が遅延し、外部環境への適応速度が明確に鈍化していると観察されるなら、それは警戒すべき兆候です。問題は技術の古さそのものではなく、適応能力の劣化です。

Q6(オンライン): デジタル化における問題の本質はプラットフォーム集中・アルゴリズム支配ではないか
質問(要約)
 金融や行政よりも、データ集中やアルゴリズムによる社会的影響こそがデジタル化の本質的課題ではないか。
回答
 プライバシー、データ支配、デジタル赤字など重要な論点が存在することは事実です。ただし、「Web3で逆転する」といった魔法の解決策を求める姿勢には慎重であるべきです。日本にGAFAM級基盤が存在しない現実を踏まえれば、産業育成やデータガバナンスを地道に設計していくほかない、というのが私の立場です。

Q7(オンライン): アトミック決済はブロックチェーンでなければ実現できないのか
質問(要約)
 サイファーパンク由来技術の金融応用について、安心・安全を損なわずにメリット(アトミック決済等)を享受できるのか。
回答
 本当に必要な機能であれば、API連携などセンター型設計でも実現余地はあります。ブロックチェーンが「無料・高速」という主張は、電力等の外部コストを含めた全体像を見なければ評価できません。外側のコストまで含めて考えれば、センター型の方が明らかに効率的です。技術の魅力よりも、制度全体のコスト構造で判断すべき問題です。

終了(司会)

 時間の関係で質疑はここまでとします。本日は、長年のご経験と現代への考察を交えた貴重なお話をありがとうございました。これにて法政策実務セミナーを終了します。