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ナゾと推論25 慶應義塾塾歌に歌われた旗

 日銀下関支店長 岩下直行

今回は、私が高校と大学を過ごした慶應義塾をめぐる話題を取り上げたい。慶應義塾には塾歌と呼ばれる校歌があって、例えば東京六大学野球の対抗戦で慶應大学が勝利するとこの歌がテレビで流れるから、お聞きになったことがあるかもしれない。「見よ、風に鳴るわが旗を」で始まる、風格のある文語調の歌詞は、昭和15年に書かれたにしては分かりやすい表現で、身びいきを承知でいえば、印象に残る校歌だと思う。塾歌では、「風に鳴るわが旗」に、文化の護(まも)りを貫いた誇りがあると歌っているのだが、いったいこれは何の旗だろうか。

私は以前、この歌に出てくる「わが旗」とは慶應義塾の塾旗のことだろうと何となく思って歌っていた。塾旗とは、青赤青の順に二色を三段に配した校旗のことで、応援団が掲揚するほか、塾内の様々な場所に掲げられている。もちろんそういう解釈でも間違ってはいないだろう。けれども、この歌詞は、福翁自伝の校訂者として知られる文学者、富田正文が、推敲に推敲を重ねて作ったものなのだから、福沢諭吉や慶應義塾の歴史に題材をとったものと考える方が自然だということに気づいた。

そういう目で福翁自伝を読み直すと、該当する部分が目にとまる。時は慶応4年(1868年)、福沢諭吉が自ら運営する学校を「慶應義塾」と名付けたころのことだ。同年4月には江戸城が官軍に無血開城し、江戸の街は戦火を逃れたが、幕府軍の一部が彰義隊と名乗って上野の山に立てこもり、5月15日に官軍との間で戦火を交えた。江戸の町が騒然とする中、福沢諭吉は、黒煙の上がる戦場からそう遠くない学校で、普段通り経済学の講義を行ったのである。

この日、講義されていたのは、米国ブラウン大学の学長であったフランシス・ウェーランドが書いた経済学の教科書だった。このため慶應義塾は、5月15日を「ウェーランド経済書講述記念日」と定め、現在でも毎年、記念講演会を開催している。

福翁自伝にはこう書かれている。かつて、ナポレオンによってオランダが一時占領され、オランダ本国のみならずインドネシアの植民地までもフランスに併合されてしまった時も、長崎の出島だけは、一日もオランダ国旗が降ろされたことがなかった。全世界に一か所だけ、オランダ国旗が翩翻(へんぽん)とはためく場所があったことは、オランダという国がなくなっていないことの証であった。そして、幕末の戦火と混乱の中においても、学問の旗を降ろすことなく講義を続けた慶應義塾は、まるでその時の長崎の出島のようであったというのだ。

(出所)伝川原慶賀筆「長崎出島の図」(長崎大学附属図書館経済学部分館蔵)出島資料館本館発行パンフレットより

つまり、「風に鳴るわが旗」「嵐の中にはためくわが旗」とは、長崎の出島にひるがえるオランダ国旗に着想を得て書かれた歌詞なのだ。そしてその旗は、慶應義塾が幕末の混乱や戊辰戦争という厳しい環境の中でも学問を継続し、「文化の護り」の役割を貫いた象徴なのである。

(2011.3.9日 山口新聞掲載)

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