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ナゾと推論33 スズランとお砂糖

 日銀下関支店長 岩下直行

スズランは北海道を代表する花である。ただし、北海道の花はハマナスで、スズランではない。これは誤答しやすいクイズ問題のひとつだ。

山口県下関市でスズランというと、お砂糖を連想する人が多いという。街中でもよく、「お砂糖はスズラン印」という看板を見かけるし、商店の店頭でもスズラン印の砂糖の袋詰めを見ることがある。

スズラン印は、日本甜菜製糖という会社の商標だ。テンサイ(砂糖大根)という野菜から砂糖を作っている会社である。砂糖といえばサトウキビから作ると思われがちだが、国内で消費される砂糖の4分の1はテンサイから製造されたものだ。テンサイは寒冷地に向く作物で、国内では北海道でしか栽培されていない。現在この会社の工場は全て北海道にあり、商標にも北海道を象徴するスズランが使われている。

だから全国的には、スズラン印は北海道産のテンサイから作られた砂糖を意味する。砂糖は値段の割に重いので、製造したものを遠くへ運搬するのは不経済だ。にもかかわらず、北海道から遠く離れた下関の地で、スズラン印の砂糖が売られているのはなぜだろう。

それは、かつて下関駅の南側に、日本甜菜製糖の下関精糖工場があったからだ。この工場ではテンサイからではなく、輸入したサトウキビ由来の粗糖を精製して、グラニュー糖などを作っていた。

話は60年前にさかのぼる。戦後しばらくの間、外貨割当という制度があった。砂糖の場合、海外から粗糖を輸入するための外貨は、各社の精糖設備能力に比例して配分されていた。輸入を抑制し、貴重な外貨を節約するための制度である。その結果、砂糖の国内価格は高止まりし、輸入粗糖の精製事業は利益率が高かった。

日本甜菜製糖は北海道でテンサイから砂糖を製造していたが、外貨割当制度を利用した輸入粗糖の精製にも参入しようと考えた。そこで、1952年、原料の輸入に便利な貿易港、下関に工場を設立し、精糖事業を開始したのだ。この工場は、戦後の下関市による企業誘致第一号だった。以来、下関では大量の砂糖が精製されることになり、スズラン印のブランドで、工場の地元である下関で販売された。市内に残る看板は、その頃の名残りである。

1963年に粗糖の輸入が自由化されると、砂糖の国内価格は下がり、精糖事業の採算は悪化した。下関精糖工場は事業を続けたが、設備が老朽化したこともあって2001年に閉鎖され、その跡地はホームセンターとなった。下関精糖工場での砂糖生産は、対岸の門司にある関門製糖という会社に移管された。現在、下関で販売されているスズラン印のお砂糖は、この会社で受託生産されたものだ。

このように、お店で売られている普通のお砂糖の中にも、地元経済の長い歴史が流れているのである。

(2011.5.11日 山口新聞掲載)

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