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日経新聞・人間発見に取り上げていただきました

日本経済新聞の夕刊に5日間連載される「人間発見」というコーナーで、半生を紹介していただくことになりました。各回に提供した写真や掲載されなかった裏話などをまとめておきます。

第一回、フィンテックに関する総論と経歴の大枠を紹介する回です。写真はPwCの会議室で撮影しました。

第二回は、生い立ちや出身地についての話です。 掲載していただいた二丁拳銃を構えた写真は、多分、幼稚園に入園したころではないかと思うのだけれど、当然記憶はありません。西部劇のような恰好も、好きでしていたのか、着せられたのか。後ろに映っている漬物樽が懐かしいです。

第三回は、学生時代からPCとの出会いなどについての話です。写真は大学4年の秋か冬、自分の部屋のパソコン前で撮って貰った一枚。この頃はコンタクトレンズを使っていたので眼鏡はかけていませんでした。

写真に写っているパソコンはNEC PC-8801。Z80というCPUを積んだ8ビットパソコン。このパソコンでCP/MというOSを動かし、その上で稼動するLISP-80という言語でプログラミングしていました。

記事の本文では「一般均衡理論を処理するプログラム」と書かれているが、これはちょっと誤解を与えそうです。私が作りたかったのは、Mathematicaみたいな数式処理を支援してくれるプログラムでした。定義式を数式のまま偏微分して連立方程式をクラメールの公式で解くまではなんとか出来るが、その解は複雑怪奇な記号の塊になるので、これを単純化するのが大変でした。しかも、OS、LISPシステム、ソースコード、データ、ワークエリア全部合わせて64k bytesまでしか使えないのです。今のように贅沢に資源が使えない中、分割して計算させたり、機能を削ったり、散々苦労して完成させた記憶があります。

このプログラムを活用して卒論を書いたというと格好いいのですが、実際には手で解いた方が早いことも多く、ちょっとだけ役に立ったに過ぎませんでした。苦労に引き合ったかと言われると微妙ですが、その後の人生を考えると有用なことだったのだと思います。

部分的には使えるツールだったようで、5インチフロッピーディスクでコピーされて、見知らぬ理工学部の学生が使っていたようでした。時々夜中に電話があって、無償のサポートセンターを務めていたのは本当の話です。就職した後は電話番号も変わり、サポートセンターも自然消滅となりました。

壁には大島弓子の綿の国星のポスターが貼られています。花の24年組と呼ばれた少女漫画家たちが好きだったのを思い出します。

第四回は、日銀入行から下関支店長を務めるまでの話です。使われている写真は、2010 年7月28日に、下関市にある田中絹代ぶんか館の夏休み特別企画として開催した子供向けの講演会「お札になった文化人」の一幕です。そこで話した内容は、本ウェブサイトの「講演」に掲載してあります。

お札の写真をA3版に拡大して厚紙に張り付け、お札のうんちくを話す小道具として使いました(赤字で「見本」と書いてあるけど、さすがに書かなくても本物とは思われないでしょう)。紙芝居のように使える大きなパネルとかも自作したもの。下関の歴史ネタや近代建築史など、金融からずいぶん離れたテーマでの講演を頼まれることが多く、そういう依頼を喜んで引き受けていました。

そうした講演原稿や新聞連載をまとめて、「ナゾと推論」という本として出版することができたのです。「お札になった文化人」の文章も、この本の一章として掲載しました。

第五回、 日立出向からセンター長を2つ経験し、京大に転職するまでの話です。掲載された写真は、2017年4月に転職した後、京大の研究室で撮ったもの。前任者である翁邦雄先生が綺麗に片づけてくださった、長さ6mほどの大きな本棚が左右に並ぶ立派な部屋で、窓からは京大のシンボル、時計台が間近に見えます。本棚を埋めようと、自宅から段ボール10箱ほどの本を運び入れましたが、片面の半分も埋まりませんでした。まだまだ本を増やせるかと思うと、ちょっとワクワクします。

とはいえ、京都、東京の往復で重い紙の本を携行するのは辛いので、新規の購入はできるだけ電子書籍にして、京都、東京のどちらでも読めるようにしています。だから、この本棚を埋めつくすことは多分なさそうです。大きな本棚に並ぶ本を、その時の気分で並び変えることは、私にとって至福の作業でしたが、その喜びもまた、電子化による利便性に置き換えられることになりそうです。