IRC Monthly 2024年6月号 に「持続可能性の先にあるもの」について寄稿しました。
持続可能性の先にあるもの
京都大学公共政策大学院 教授
株式会社伊予銀行 顧問
岩下 直行
ここ数年の間に国内で急速に普及した英単語の一つに、サステナピリティ(持続可能性)が挙げられる。SDGsのSと言えば「ああ、あれか」と思い当たる人は多いはずだ。企業経営の上でも持続可能性は重要なキーワードとなっている。例えば、多くの企業がサステナビリティレポートを公表している。この資料は、その企業が環境や人権などの社会的問題にどのように取り組んでいるかを投資家や顧客、取引先などのステークホルダーに公開するものだ。企業の社会的責任を巡る議論は従来から盛んに行われていたが、近年、その対象がより明確化され、環境、社会、ガバナンスといった目標が重視されるようになった。とりわけ、地球環境問題を意識した二酸化炭素排出量の削減が注目されている。
ここで人類の歴史と二酸化炭素の関係を整理してみよう。人類は古代から火を利用して文明を発展させてきたが、薪や木炭を燃やしている限り、二酸化炭素が問題となることはなかった。木材を燃やすと発生する二酸化炭素は、元々は木が生育する際に大気中から固定されたものだから、収支のバランスが取れていたからである。
ところが、18世紀になるとこのバランスが崩れてしまう。産業革命とそれに続くエネルギー革命を経て、人類は石油、石炭などの化石燃料を大量に燃やしてエネルギーを得るようになる。その結果、人々の生活は豊かになったが、化石燃料由来の二酸化炭素の放出が増加した。化石燃料もまた、古代の植物が固定した二酸化炭素からできたものだ。問題は、長い時間をかけて固定され、地下に蓄積されていた炭素が一気に放出されたところにある。その結果、二酸化炭素濃度が急激に高まり、温暖化効果を通じて気象変動の激化や海水面の上昇をもたらすと指摘されるようになった。
企業レベルでの二酸化炭素削減運動は、啓発活動としては意味があるだろう。しかし、全地球的規模でみれば、二酸化炭素濃度の増加は、化石燃料の採掘量に依存する。今後もこれまで通りのペースで化石燃料が採掘され続ければ、地球のどこかでそれが燃やされ、二酸化炭素の濃度は上昇する。例えば、仮に先進国が化石燃料への依存度を大きく下げたとしても、それによって余った化石燃料は先進国以外の地域で利用されることになるだろう。そうなった時に、化石燃料の利用を強制的に止める仕組みを世界は持っていない。
とはいえ、実はこの問題は意外とすんなり解決するかもしれない。経済合理的な範囲で採掘可能な化石燃料の埋蔵量は有限であり、いずれ枯渇してしまうからだ。百年単位で考えれば、温暖化は多少進むとしても、化石燃料が枯渇した時点でそれ以上の進行は止まる。しかし、そのような未来において、我々の子孫は、より深刻な問題、つまり文明を支える基盤である化石燃料の枯渇という問題に直面することになる。現代文明は、有限な化石燃料に依存している以上、今のままでは構造的に持続可能ではないのだ。我々は、そういう未来を見越したうえで、将来役に立つ技術開発を進めていくべきだろう。
(IRC Monthly 2024.6)