米国で、暗号資産業者を中心に「トークン化された株式(tokenized stocks)」の取引を構想する動きが表面化している。現時点では暗号資産メディアを中心とした話題にとどまっているが、来週にはCoinbaseが事業計画を発表すると伝えられている。米国で一定の実装が進めば、日本でも制度面・実務面の検討を避けることはできなくなるだろう。
この議論はしばしば「証券市場の技術的イノベーション」という枠組みで語られるが、そこには大きな違和感がある。
まず確認すべき点は、24時間365日の取引や即時清算といった要素は、DeFiやパブリックチェーンを使わなければ実現できないものではない、という事実である。現在の証券トレーディングシステムや清算インフラは、技術的には常時稼働を前提とした設計が可能であり、取引時間が限定されているのは制度や慣行の問題にすぎない。
それにもかかわらず、ETHやSOLといったパブリックチェーン上で株式をトークン化し、暗号資産市場と接続しようとする動きが出てくるのはなぜか。そこにあるのは技術的必然というより、証券市場がこれまで負ってきた規制、清算、保管、最終責任といったコストや責任構造を外部化したいという動機ではないか。
日本のSTOが辿ってきた道は、対照的である。日本のSTOは、コンソーシアム型・参加者限定の仕組みとして設計されてきた。これは「トークン」という言葉が想起させるほど自由度の高いものではないが、証券リスクと暗号資産リスクが同時に発現することを避けるための、意図的な制度内実験だったと言える。
一方、パブリックチェーン上でトークン化された株式が流通し、BTCやUSDTといった暗号資産と接続される世界では、証券取引リスクに加え、暗号資産市場特有のボラティリティ、スマートコントラクトの脆弱性、ブリッジやオラクルのリスク、そしてAMLや制裁対応の困難さが一気に持ち込まれる。これらは足し算ではなく、掛け算で証券市場に跳ね返ってくる。
さらに、日本の証券業界は、長らく閉域ネットワークと信頼前提のシステム設計の上に成り立ってきた。認証や鍵管理、ウォレット運用といった分野で十分な経験を積んできたとは言い難く、今年に入って露呈したサイバーセキュリティ上の問題を見ても、オンチェーン型証券取引を安定的に支えられる状況にあるとは言えない。
この問題は、イノベーションに賛成か反対か、という二項対立で語るべきものではない。本来問うべきなのは、「それは本当に必要なのか」「既存の制度内で代替できないのか」「一度持ち込んだリスクを、後から引き戻せるのか」という点である。
トークン化株式を暗号資産業者が自由に売買する世界は、伝統的な証券市場にとっては悪夢に近い構造を持つ。だからこそ、起きてしまってから考えるのではなく、起きる前に必要性と帰結を整理しておくことが重要なのだと思う。

