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ナゾと推論3 弁財天橋の由来

日銀下関支店長 岩下直行

私は毎朝自宅からオフィスまで歩いて通勤する際に、最短コースをちょっとだけ離れて、下関市役所北側の田中絹代ぶんか館前を通るようにしている。今年2月にオープンしたこのぶんか館は、大正期に建てられた古い電話局の建物を改装したものだ。隣を流れる田中川沿いにぶんか館の前まで歩き、川に架かる弁財天橋(べざいてんばし)越しにこの歴史的な建物をひとしきり眺めてから出勤すると気持ちが良い。

◆弁財天橋と田中絹代ぶんか館

この弁財天橋は、長さ10メートル足らずのかわいらしい橋である。橋の名前がちょっと変わっているので、以前から気になっていた。この橋に弁財天、つまり弁天様の名前が付いているのはなぜだろう。この付近には弁天様を祭った神社などないのに。

そこで、東京国立博物館に収蔵されている「長州赤間関之図」を調べてみたところ、その謎が解けた。江戸時代の下関の街を描いたこの絵地図には、当時存在した寺社が細かく描き込まれている。その絵地図で現在の弁財天橋の近くをみると、建物の絵と「弁天」の文字がある。つまり、江戸時代には、この地に弁財天を祭った祠(ほこら)があったのだ。このため、その近くに架けられた橋に弁財天の名前が付けられたらしい。

今では祠はなくなってしまったが、弁財天という女神の名を冠した橋が残った。現在、この橋の欄干には女流詩人、金子みすゞの詩碑が飾られ、橋のたもとには女優、田中絹代を顕彰するぶんか館が建っている。これも不思議な巡り合わせだ。

こうした話を、地元下関で開かれた講演会でご紹介したところ、様々な反響を頂いた。特にありがたかったのは、そのなくなってしまった田中川沿いの弁財天が、現在は下関市岬之町の功徳院に移されていると教えて頂いたことである。実は、この功徳院は、日銀下関支店のお隣にあるお寺なのだ。

さっそく、功徳院をお訪ねし、弁財天を拝ませて頂くこととした。功徳院には常勤の住職はおられないので、弁財天を引き取ることになった経緯を尋ねることはできなかったが、確かにお寺の本堂の一室に神棚が置かれ、小さな弁財天像が祭られていた。現在は七福神のうちの4人までがそろっているとのことで、いずれ七福神全員をそろえようという計画もあるようだ。

すぐ隣に勤務しながら立ち入ることのなかったこのお寺を、こうしてお訪ねすることができたのも、弁財天のお導きかもしれない。功徳院の石段を登ると、石仏の並ぶ小さな庭があり、季節の花が美しい。今の時期は、青い秋空に真っ赤なヒガンバナが咲き誇っている。

(2010.10.6日 山口新聞掲載)

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