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ナゾと推論6 杉道助氏の墓を訪ねて

 日銀下関支店長 岩下直行

日銀下関支店は山口県の西の端にあるが、山口県全体を所管している。このため、支店長としては、毎月か、少なくとも二、三か月に一度は、県内の主要都市を訪問するようにしている。山口、宇部、周南、岩国、防府、萩、柳井といった都市だ。毎回、日帰りの強行軍で、講演をしたり、銀行や企業を訪問して経営者の方々と面談したりする。せっかくこれらの都市を訪れるのであれば、ついでに寄ってみたい史跡や施設はいくつもあるのだけれど、いつも予定がビッシリ詰まっているので、史跡のすぐ前を通ることがあっても、車窓から眺めるだけだ。

ただ、ときには例外もある。先日、萩を訪問した折に、面談が重なって帰りが遅くなったため、萩市内に一泊することにした。翌日は土曜日だったので、山口県に来て初めて出張先で自由時間を持つことができた。そこで、あるお墓を訪ねることとした。

下関に赴任した当初、萩にある金融機関の役員の方とお目にかかった際に、「いつか萩に行ったら、杉道助氏のお墓にお参りしたい」と話したことがある。杉道助氏は大阪商工会議所の会頭を15年もつとめた著名な財界人で、ジェトロ(日本貿易振興機構)の創設者としても名高い。すると、その役員の方は、ご厚意で詳細な地図を送ってくださった。それ以来、萩を訪問するときにはいつも、その地図をかばんに入れていたのだが、ようやくそれが役立つことになった。

松陰神社から維新の道をたどり、老人ホームの前のゆるやかな坂道を登ると、萩の街を一望できる東光寺山の斜面に墓所がある。そこに立ち並ぶ墓石の中に、杉道助の名前を見つけた。司馬遼太郎が小説「世に棲む日日」の中で驚いていたように、戦後の関西財界を代表する人物にしては小さな墓石だ。

墓石が控え目なのには理由がある。この墓所には、吉田松陰先生、高杉晋作、久坂玄瑞、玉木文之進など、維新史に名を残す、そうそうたる人物のお墓が並ぶ。ただしいずれも墓石は小さい。松陰先生のお墓は、江戸での処刑の翌年、門人たちの手で作られたものだ。そこには、遺骨ではなく遺髪が納められている。

松陰先生は杉家に生まれ、幼くして吉田家を継いで姓が変わった。杉道助氏からみれば大叔父に当たる。氏は生涯、その大叔父を深く敬愛していたという。墓石を松陰先生のものより大きく作らないのは、氏の遺志によるものらしい。氏は、大きな墓石を立てるよりも、敬愛する親族のそばに葬られることを希望されたということだろう。

私はそれらのお墓に手を合わせ、墓所を後にした。振り返ると、萩市街の先に指月山と日本海が見渡せる、気持ちの良い眺めが広がっていた。

(2010.10.27日 山口新聞掲載)

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