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ナゾと推論28 耳なし芳一の話はなぜ翻訳か

 日銀下関支店長 岩下直行

下関市阿弥陀寺町にある赤間神宮は、壇ノ浦の合戦で入水崩御された安徳天皇を祭る神社だが、その地名の通り、江戸時代までは阿弥陀寺という寺で、平家一門を供養していた。今でも、赤間神宮の境内の横に、平家の武将の墓と伝えられる「七盛塚」があり、観光名所となっている。そして、その墓所の前に耳なし芳一の木像の納められたお堂が置かれている。耳なし芳一はこの阿弥陀寺に住んでいた琵琶法師で、彼が平家の亡霊に導かれて琵琶を弾いたのは、この七盛塚の前ということになっている。

◆七盛塚

◆芳一木像

実際には、芳一という琵琶法師は、物語の中に描かれた架空の人物である。現在、われわれがこの伝説のよりどころとしているのは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が英文で綴った「怪談(原題Kwaidan)」という短編集の第一話だ。日本の下関を舞台にした話なのに、英語からの翻訳で読むというのも不思議である。この短編集の序文で八雲自身が書いているとおり、ここに収録された話は、八雲がゼロから構想したわけではなく、日本の古い怪談本から取材したものだ。八雲は怪談が大好きで、古い怪談本を買い集めていたという。八雲が収集した江戸時代の怪談本は、八雲の死後、文学的な資料として管理されるようになった。現在では、インターネットを通じてその各ページの写真を見ることができる。

それらの資料によると、「平家の怨霊に平家物語を聞かせた琵琶法師」の話は、古くから様々な怪談本に登場していたらしい。八雲の蔵書であった「臥遊奇談(がゆうきだん)」や「宿直草(とのいぐさ)」という江戸時代の怪談本に、耳なし芳一の話の原型とおぼしき物語をみつけることができる。主人公の琵琶法師の名前は、前者では芳一、後者では団都(だんいち)となっている。

しかし、八雲はそうした書物を単に翻訳したわけではない。八雲の妻、小泉節子が書いた「思い出の記」には、彼の執筆の様子が詳しく描かれている。八雲は日本語の読み書きができず、これらの書物を読むのは妻である節子の役目だった。八雲は節子から怪談話を口述してもらったのだが、その際、節子が本を見ながら話すことを嫌った。節子は物語を読み終え、細部まで記憶した上で、それを自分の言葉で口述した。八雲はそれを聞いて、自分なりに物語をふくらませ、それを英語で文章にしていったのである。節子は、寂しい夜に、ランプの芯を下げて薄暗くした部屋で怪談話をした。八雲は恐くてたまらない様子でそれを聞いた。彼らの家はまるで化け物屋敷のような雰囲気だったという。そのうちに、節子自身が悪夢にうなされるようになり、しばらく作業を中断したほどだった。

こうして書かれた「耳なし芳一の話」は、骨格こそ古い日本の怪談話だが、その英語の文章は八雲による創作である。それを日本語に翻訳する際に、各時代の訳者が現代風の表現を工夫してきたため古びることがない。このため、今でもその翻訳が多くの人々に愛読されているのである。

(2011.3.30日 山口新聞掲載)

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