IRC Monthly に「トランプと陰謀論」について寄稿しました。

トランプと陰謀論
京都大学公共政策大学院 教授
株式会社伊予銀行 顧問
岩下 直行
米国トランプ大統領の経済政策が心配だ。特に関税の引き上げによる自由貿易の制限は、グローバルな供給網を混乱させ、各国の株価を暴落させた。経済学の教科書的な観点から見れば、インフレを加速し、成長や雇用にとってマイナスであることは明白であり、一国の大統領自らが経済危機を生み出す構図になっている。
その背景には、米国の膨大な財政赤字と貿易赤字が、もはや持続可能な水準を超えたのではないかと不安視されていることがある。長年にわたり警鐘が鳴らされてきたが、具体的な解決策は提示されてこなかった。
こうした中で、トランプが提案したのは、「そのコストを国外に転嫁する」という作戦である。外国製品に関税を課し、国内回帰を促すことで産業と雇用を取り戻す。それを糸口に、各国の経済政策に譲歩を迫る。そんな手法は普通は通用しないものだが、「唯一の超大国」という地位を背景にすれば、一定の実効性を持ちうる。
歴史的に見れば、これは1971年のニクソン・ショック(金とドルの交換停止によってブレトン・ウッズ体制を事実上終了させた出来事)や、1985年のプラザ合意に見られたように、アメリカが自国の経済問題を外交政策で処理しようとする発想の延長線上にある。とはいえ、その「交渉」の進め方はあまりに乱暴で、一歩間違えば破滅に繋がりかねない危ういものである。
ただし、こうした滅茶苦茶な経済政策が一定の支持を集める背景には、もう一つの構造が存在している。それが、陰謀論的な政治言説だ。
トランプは、自身の政策を「既得権層との戦い」と位置づけているようだ。官僚、司法、メディア、情報機関といった制度的主体を、「真の敵」として名指しし、国民の代表たる自分が、それらと闘っていると語る。この構図においては、政府の中枢にこそ国民の敵がいる、という論理が成立する。その敵を意味するディープ・ステート(deep state)という語が、ごく日常的に語られるようになったのはその帰結である。
ここで一つの素朴な問いが浮かぶ。もしディープ・ステートが本当にすべてを支配しているなら、その存在を暴き、それと戦う人物がホワイトハウスの主となっているという事実自体が、自己矛盾ではないのか。陰謀が全能であると主張しながら、その陰謀を訴える者が制度の頂点にいるという構図は、論理的に成立しない。
それでも、こうした語りが支持を得るのは、「わかりにくい現実」に対して、「わかりやすい敵」を与える機能を果たすからだ。だが、制度に対する懐疑が制度の内部から発せられるとき、それは単なる批判ではなく、制度の自己否定となってしまう。この種の語りが広まると、事実に基づいた議論の前提が崩れ、公共空間の健全性に対する重大な脅威となる。実のところ、経済政策そのものよりも、こうした言説の広がりの方が、はるかに深刻な問題ではないか。
現代のポピュリズムの困難さは、制度外部からの破壊ではなく、制度内部における信頼の解体という形で現れる。トランプの語りは、その典型といえるだろう。
(IRC Monthly 2025.6)